母とピアノ
私がピアノを習い始めたのは、小学校1年生の時。
正確にはエレクトーン教室だった。母が勝手に入会申し込みをして、私はそのまま通い始めた。
もしこの時母が申し込みをしていなかったら、今の私のピアノ人生はないだろう。
さらに高校生で進路を決める時、特に希望がなかった私に、音楽教室の先生は?と勧めたのも母だ。
エレクトーン教室に通う前、保育園に通っていた頃は、歌とお話のレコードを毎月定期便で購入してくれていた。
母は、自分が音痴なことをとても気にしていて、娘の私の前では絶対に歌わなかったらしい。音程の外れた歌を聞かせたら我が子まで音痴になってしまうと心配して。
それで、代わりにそのプロの上手な歌のレコードを熱心に私に聞かせていた。
そんな音楽が苦手(と自分で言っていた)な母だが、晩年は地元のコーラス教室に通い、「カラオケで普通に歌えるようになりたい」とも言っていた。音楽への憧れは人一倍あったようだ。
車でも、自分の好きなCDを揃え、よく聞いていた。
数年前、私の娘(母から見て孫)のピアノの発表会で私と娘が連弾で弾く機会があった。
たまたま誘って見に来てくれた母。
私は緊張もありハラハラして自分の演奏をこなすことで精一杯だったが、後日、母からお礼のお菓子とメッセージカードをもらった。
『連弾すごくよかったヨ。ありがとう』と書かれたカードと手作りのパウンドケーキ。
あぁ、誘って良かったな。こんなに喜んでくれるなんて思わなかったな。
その後私はそのことをすっかり忘れていたのだが、それから数年後母が病気になり、死を迎える数日前にまたあの日の連弾のことを、「あれは良かった」としみじみ言ったことには驚いた。
こんなことなら、もっともっと母の好きな曲を弾いたり一緒に歌ったりすれば良かったと心底後悔した。
実は、病気がわかる直前の母の誕生日に、私と娘と2人で何曲か弾いてプレゼントにしようと計画していたのだが、なんやかんやと忙しいのを言い訳に伸ばし伸ばしになってしまっていた。
そうこうしているうちに母の具合が悪くなり、曲のプレゼントどころではなくなってしまった。
どうしてあの時早く誕生日演奏会をしなかったのか。
今でも心残りだ。
そんな母は
「最期はお経じゃなくて、娘と孫のピアノで見送ってもらいたい」
と、私たちの録音した演奏を葬式で流すことをお願いしてきた。(実際には叶わなかったけど…)
ピアノに向かう時、そうやってときどき母のことを思い出す。